石川 直也 笠原 光咲子 「うつりゆく静物」







2019 8.1(Thu)-9.2(Mon) (火曜、水曜定休 11:30-18:00)

「うつりゆく静物」
 笠原光咲子と展示をするにあたり、「静物」という言葉は外せない要素だと感じていました。
静物というと静物画などに用いる場合、日常にある「物」を台などに設置して描く時に使いますが、笠原はその「物」を彫刻として木で彫ります。
それを「静物彫刻」とひとまず呼びたいと思うのですが、「静物彫刻」という言葉にはまだ曖昧さがあるのです。
物が彫刻の人体とともに群像として登場する時、静物彫刻と呼ぶことはないですし、植物のみを彫刻したものや水を彫刻したものなど、 定義することが難しい場合があります。 
逆に静物画に人体彫刻が登場することもありますが、それは「静物」と捉えることが自然にできるのです。
彫刻と静物の関係というのはこのようにとても曖昧な関係を続けながらも、昨今静物彫刻と呼ぶべきものは増えてきています。そこにはいったい何があるのでしょう。
 笠原とともに静物について話していると、「うつりゆく」という言葉が頻繁に出てきました。
笠原は物を彫刻にするとき、対象のかたちだけではなく、 それに備わっている周りの空間や時も捉えようと、彫刻していることがわかりました。
静物彫刻にはうつりゆく時、うつりゆく形、うつりゆく景色、うつりゆく記憶を纏うことがあるのかもしれません。
それは彫刻の本質をも感じさせる、静物彫刻の持つ力なのではないでしょうか。 
しかしこれはまだ答えではありません。 今展は静物彫刻をより考える展示であり、曖昧だからこその可能性を探る展示でもあり、静物彫刻のもつ面白さを伝える展示になればと思っています。 Gigi石川直也


石川直也
 人が立っている、物がそこにある。身近にあるありのままを彫刻にすることを心がけています。
私にとって「静物」は、デッサンで 台座にあるありのままを捉えることのほうが身近です。
その時に考えることは平面の台座にただまっすぐ倒れずに描くこと。
では人や家などが島(大地)という台座に立っていると大きく捉えるなら、人も静物と言えるのではないでしょうか。 
  今展では石そのものを絵画に取り入れた「石の絵」を中心に「物」を彫刻するのではなく、違う観点から静物彫刻について考えていきたいと思っています。


笠原光咲子
 生活の中にありながら自然を想像できるような彫刻制作を試みています。
モチーフは、生活の何気ない一部を切り取ったもの、 記憶の中にある情景を具現化したもの、懐かしさを感じる日用品や身の回りのものなどを選んでいます。
今展では折り紙やテープで作ったものをモチーフにした作品を空間に展開しています。
鑑賞者によっては身体の動きや幼少期に遊んだ記憶までも思い起こすでしょう。
このように、具象でありながら、写実性よりもその奥にあるものを見つめて表現しています。静物彫刻という言葉はありませんが、
抽象ではなく具象であり、人体や動物ではなく静物を彫るというところに私なりの現代に彫刻をする可能性を感じています。







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